昨日はクリスマスイブということで鳥を食べました。焼き鳥屋で。今日の夜、必死になってお泊りしようと思っている男女(主に男が必死)がものすごい数いるんだろうなあと思うとわくわくしてしょうがなかった。何をするにも理由が必要で、それを相手に納得してもらえればことが進むわけで、クリスマスイブだから、なんて取ってつけたような理由も、なんとなくロマンチックなんじゃねーの?とかみんなもクリスマスイブ祝ってるしなーとか大衆に流される形で納得させやすいのです。この原理を日常に落とし込むと、例えばものすごくかわいい犬が家にいるよーとか言って家に連れ込み成功だとか。人に話すときに理由が言えるようになればいいとかそんな感じ?

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5歳6歳くらいになったら、「サンタさんはパパでしたー」と明かすことは重要なんじゃないかと思いついた。サンタパパ説を明かした後、このプレゼントはサンタクロースがもってきたものじゃなくて、パパが働いたお金であなたのために買ってきたものなんだよと教えたほうがいいんじゃないかと。まあそんなもん教育方針次第か。サンタパパ説を唱えた瞬間から泣き出して話にならんかも知れないし。間違ってる気がしてきたな。もうちょっと対象年齢をあげてみよう。


あ、あと佐藤君が誕生日はなんで祝うのかわからんみたいなこと書いてたけど、確かにそうだ。生まれた瞬間はめでたくてしょうがないけど、それから1年の節目節目でハッピーバースデー言われ続けるのはなんでなんだろな。歌終わりでろうそく吹き消したり。消したら消したでわー、パチパチ、みたいな。これもクリスマスと同じで雰囲気もんなのかもしれません。本来の意味はどっかやっちゃって。酒がのめるぞーっていう歌と同じ、理由が欲しいだけという。あ、最初と繋がった。まあみんなが集まってくれて、おめでとう言われて、ケーキなんか食べて、っていう状況は最高に幸せだから、そんなことどうでもいいんだけどな。と、やや佐藤君の主張パクりぎみで終了。